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事件のあと~大津事件後日譚

公開日:2018/02/26

政治・経済担当の泉澤です。

 

大津事件については、政治経済や現代社会、日本史の教科書に掲載されていますから、大概の方はご存知かと思います。

 

一応あらましを…

 

1891(明治24)年、来日中のロシア皇太子ニコライが、滋賀県滋賀郡大津町(現大津市)で警備にあたっていた警察官に斬りつけられ負傷する事件が発生。政府は裁判所に対して、外交的見地から犯人を死刑とするよう要求した。しかし時の大審院院長(最高裁判所長官)小島惟謙(こじま いけん)は、政府の圧力に屈せぬよう担当裁判官を説得し、法の規定に従って、殺人未遂罪として無期懲役の判決を下した。

政府の裁判に対する干渉を排除し、「司法の独立」を確保したという点で後世に語り継がれる話です(一方で「裁判官の独立」や「司法事務の法定手続き」の問題はありましたが、こちらは教科書に譲ります)。

 

この事件に関わ人物とその後です

 

 

小島惟謙…「護法の神様」と評価された小島ですが、この後彼を含む6名の判事が花札賭博に興じていたとして訴追されました。事件自体は免訴となりましたが、小島は責任を取って辞職します。その後貴族院議員、衆議院議員を歴任。

 

畠山勇子…はたけやま ゆうこ。日本人が大国ロシアの皇太子を負傷させたため、ロシアはこれを口実に日本に武力侵攻するのではないか、日本中がパニックになりました。この状況の下、勇子は嘆願書を携えて京都府庁前で喉を切って自殺します。自らの死をもって詫びとしたとされ、のちに「房州の烈女」と称されます。

 

向畑治三郎…むかいはた じさぶろう。ニコライ皇太子が乗った人力車の車夫。襲撃した警察官を取り押さえ、皇太子の命を救った人物。ニコライは、命の恩人である彼に2500円の報奨金と、1000円の終身年金を与えました。また日本政府も年金36円の支給を決めました。2500円というと、今の価値でおよそ1000万円くらいでしょうか。突然舞い込んできた大金が治三郎の人生を狂わせます。彼は博打と女戯に明け暮れ、また怪しげな投機話に大金をつぎ込みます。その後に起こった日露戦争によって年金が停止され、さらにロシア革命で帝政ロシアは滅び、年金支給自体が消滅、困窮のうちにその生涯を終えました。

 

いかがでした?近代国家の要件たる「司法の独立」。これを語る上で決して外せない大津事件ですが、その周辺にある事実を知って頂くと、もっと興味を持ってもらえるのではないかと思います。もちろん受験で問われることはありませんけども。

(泉澤俊一)

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